K2へ登る志の如く

しがないもの書きの、サイト更新の詳細情報を兼ねた日記

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"読書"の主体

 いっぱい本が読みたいなぁとそう思うわけです。いや、違うな。いっぱいの本を読み終えた状態になりたいとそう思うわけです。多くの本を記憶に留めて、多くの本の内容を語れる、そんな風になりたいなと思うわけです。
 それは決してたくさん読みたいというわけではないのです。そうなる経過としてたくさんの本を読むことになるでしょうが、"本を読む"ということは目的ではなく手段なのです。もし仮に、本の内容を"読んだ"と同じ程度に暗記できる簡易な手段があるのなら、きっとそれを利用したとしても同じように目的を為すことができるでしょう。それそのものは本を読むという行為を行っていないにも関わらず、です。それがいいのかどうかということは別として。
 世の中、往々にしてあることですが、目的と手段を履き違えてはなりません。主体は、"本を読む"ことそのものではなく、"読後に如何にその本が心に残り、如何にその本を語れるか"こそが主体なのです。


 とはいえ、本を読んでいる最中のわくわくとか続きが読みたいなぁとか、読んだ後の読み終えたぜぃ!やっはー!とかいう気持ちを忘れているわけじゃありません。悪しからず。