↓というわけで、同じように"小説を書く"の主体について。
以前から"何故小説を書き続けるのか"という問いに対して延々ととやかく言っていますが、"したい"と思っていることは、"小説を書くこと"ではなく"(良い)小説を書けるようになること"です(良いの捉え方も色々とあるかと思いますが、とりあえずここでは置いておきます)。"書いていること"そのものが主体ではなく、"どういうものが書けるのかということ"こそが主体なのです。
従って、こうやって書き続けていても未だ満足し得ないのは、"評価され得る小説がないから"とか"表現したいことをしたいように表現できていないから"とかなのだと思います。
ですから、"書くこと"そのものは手段であって、目的ではありません。もし仮にいい小説が書けるようになる簡便な手段があるとしたら(以下略
とはいえ、小説を書いている最中の文章ねりねりとかあの場面こそ書きたい!とか、書いた後の書き終えたぜぃ!や(以下略
まあ、そういうわけです。
こういうことにおいて、努力に結果が結び付いてこないと僻んじゃうわけです。だって、書くことそのものはあくまで手段で目的そのものではないのですから。
中高では文章力そのものが向上しているという実感がありましたから、書いていて楽しかったのです。しかし今は?伸び悩みというやつでしょうか、これといって何か向上したという気もしませんし、小説を書くということが半ば作業化している気さえします。だから、"何故小説を書き始めたのか?"とか"何故小説を書き続けるのか?"とか原点回帰的なことを自分自身に問いかけてしまっているのではないかな、と。
……まあ、人に評価を仰いでメタクタにやられたせいでもありますけどね。そのあとのフォローも糞もない間にひょろひょろと萎んでしまったせいでも(以下略
要するに自分の書いている小説とか小説を書いている自分とかに自信がなくなってきている、ということかな。自分のことではあるけれど、その辺りがよく分からないな。
そう、期待しても無駄だということはある程度分かってきたけれど、それでも少なからずとも期待してしまうことは性らしい。この状況に変化があるとするならば、それは成人式じゃないかな、と。