K2へ登る志の如く

しがないもの書きの、サイト更新の詳細情報を兼ねた日記

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学業とは・・・(毒吐き中)

かの先生は語ります。
世界史を習う所以を、"過去と同じ間違いを繰り返さないためである"と。
しかし、これが真の理由であるとするならば、その教科の試験は何の意味があるのですか?
受けもしない高度な学校の、見たこともないような高度な入試問題を、学校内の考査に出すその意義とはなんでしょうか?
ところで、今、目の前にはパソコンがあり、それはインターネットというものに繋がっています。
それは世界中を繋ぐネットワークです。
しかし、それをもってしても調べるには些か時間のかかるような考査です。
そのようなものに、真価を見出せずにいます。
知りえるならば、その価値を問いたいほど。


はっきり言えば、恐らくその教師は、"自分のために"授業をしているのだと思います。
それは、自らの利害だけに信念を囚われているといっても過言ではないかもしれません。
何故ならば、時間は有り余っているはずであるのに、自らの信念について語りだし、まるで教科書ですら終わらせる気がないからです。
教本であるはずの教科書も、完璧であるはずがありません。
何故なら、それは人の創作物であるからです。
しかしながら、だとしても、教科書の記述に対して文句を言いすぎです。
それも、記述の仕方に偽りがあるわけではなく、単に"気に入らないから"という理由です。
あんまりではありませんか?
いくらその教師がこの学校に転任してきたばかりで教科書を選んだのが去年の先生であったとしても、それはないと思うのです・・・。