K2へ登る志の如く

しがないもの書きの、サイト更新の詳細情報を兼ねた日記

Twitter : @toresebu

もの書きとして見る"恋文の技術" - レビュー

 下の感想とはちょっと違った観点で再び書いてみます。ネタバレを含む箇所は反転でどうぞ。


 恐らく恋文の技術は書くときに大元のストーリーを別に書くか、若しくは詳しいプロットを用意しておいてそれに基づいて手紙の文章を書くというスタイルを取っているはずです。できる人なら後者のプロットだけでこの書簡体小説を書き上げてしまうでしょうが、しかしこれがなかなか一筋縄でいくとは到底思えない。より緻密なものを書こうと思うならプロットを構成した後で前者をやってのけるはずです。つまり、この作品を書くために"(プロットと)大元のストーリー"と"手紙そのもの"という二度の執筆をしているであろうということです。つまり書くのが非常に手間で且つ作業途中で過ちを犯しやすいのです。
 さらに、この書簡体小説の場合手紙を送っている相手が一人ではないというところが味噌です。あの手紙でこういうことを書いたからこっちの人宛の手紙ではこうでなくてはならないということを百通以上の手紙について考えなくてはならないわけです。そりゃまたとんでもなく手間です。やろうと持ちかけた時点で出版社がよく「よし」と言ったものだと思うほどに手間で緻密な作業のはずです。
 加えて、以前の作品とのリンク、氏独特の文体、普通の手紙ではなくそれが文通であるが故の一人語りの長文とそれを飽きさせない勢い、送り先ごとの人物としての魅力(とそれを第三者的に表現できる技量)など多くに魅せられます。
 個人的に最も感心したのは、"見どころのある少年"宛ての手紙です。後半になるにつれ徐々に漢字の量が増えていくという芸の細かさもさることながら、他の手紙とは相手の年代層が異なるということを書き分け得るところ。加えて第三者的な見方をしているにも関わらず[幼心に宿った恋心]がひしひしと伝わってくるところも舌を巻きます。
 あと、この非常に手間がかかり且つ記憶力や注意力が他の小説よりも必要とされる作品を執筆、加筆修正すると同時に"ペンギンハイウェイ"や"有頂天家族 二部"も同時に執筆なされているという状況。真似できません。器用すぎます。器用すぎて嫉妬しちゃいます。


 褒めちぎるとするならばもっと多くを語れるのですがこれくらいで。
 ダメ出しというか、褒めてばっかりではあれなのでそうでないところを指摘するとするならば、手紙なのだから誤字を当然のように含むのではないかという点(これは本として出す限り難しいかもしれませんが……)と、立ち読みした人の心をつかむには些か序盤が甘いのではないかという点くらいでしょうか。

 と、いうわけで(繰り返しになりますが)こちら -> http://d.hatena.ne.jp/Tomio/20090301