K2へ登る志の如く

しがないもの書きの、サイト更新の詳細情報を兼ねた日記

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http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/breview/29130/


というわけで、ひさしぶりのトラバです。
結論からいうと、この記事には全面的には賛成できません。
一部正論かもしれませんが、11年も前のことが現在でも通じるという論がそもそもおかしいのです。


さて、結論については後から語るとして、まずは順々に。
ある種、触れてはいけない禁断の手段というやつに触れてしまったようです。
確かに歴史的に見れば、戦争や紛争には報復がつきものです。
歴史的にというよりも現在の世界情勢でさえ、あのパレスチナ筆頭中東情勢にしても未だ報復の連続であり、アメリカが未だ撤退しないイラクでも日夜報復が繰り返されているのです。
しかし、その報復行為の顛末は、関係のないものを巻き込んでいるだけのように見えます。
報復の連鎖は何を生むのか。
上の2つでは、意図されない血と、無力を嘆く涙だけでしょう。



一方、トラバ先の話について。
あの記事で一番キーとなるのは"十一年前"という言葉です。
十一年前の中学生は、今何歳くらいになっているのかというと、中学生というものは12歳から15歳までですから、現在は23歳から26歳ということになります。
大学を卒業して、就職したか、若しくは板についてきたかくらいでしょうか。
これからの"税制"における時代の変遷の影響を一番受ける世代ですが、もっとも彼らの中にTVなどで淘汰されているフリーターやニートが多いことは既知の事実ですね。
実は30代に結構いるというほうが、フリーター・ニートの問題としては重要なのですが・・・。


さて、横道に反れましたが、その十一年間で何があったか。
もっとも影響の大きいことは、ネットワーク社会の到来ということです。
パーソナルコンピュータの普及に続いて、携帯電話の普及があり、メール交換や移動電話による会話が容易になりました。
そんな現代のいじめで叫ばれていることをこの記事を書いた人物は知っているのでしょうか。
"メール交換による集団的な無視"というやつを。
これに、如何にして対応できると思っているのでしょうか。


まず、無視をするという行為がいじめであるということを前提に話をします。
このいじめに関しては、恐らく対象となる人にとってはある種の暴力的行為よりもより耐え難いものとなると思います。


暴力的行為の場合、それを行うものは多くても7人程度、ひどく見積もって10人以上いることはないでしょう。
このとき、その行為の周囲には傍観者がいるでしょうが、彼らは暴力を加えてくることはありません。
しかし、それと同時に味方になってくれることも少ないのですが、以前の記事の"傍観者もいじめている"という主張に対する内容にあるように、彼らはあくまで中立を保っているつもりです。
それがいじめられている人物にそう見えなかったとしても、彼ら自身が直接的な危害を加えることはありませんし、いじめている人間がいない場なら彼らとはまだ普通に話せるでしょう。
それに、いじめられている側も、納得はしていないとしても、告げ口をした彼らの行く末が如何なるものかを知っているはずです。
ですから、完全な敵であるとは見なせないでしょう。


一方、無視をさせるケースでは、まず言い出した人間が誰であるか特定することができません。
さらには、その行為に加担しなければあとで如何なる目にあうかわかったものではないので、度胸が据わっていない限りおそらくその行為に加わるでしょう。
こうなると、この組織的いじめ(通称"グル"ですか)は、かなり陰湿なものとなります。
現代の日本社会における考え方の軸の1つに、他人指向型というものがあり、これは"他人を見て行動する"とか、"他人に合わせて行動する"というものなのですが、これが働くことによって、さらに陰湿となります。
まず組織的であるという点で離反者に対しては暴力的ないじめと比べひどく排他的になる傾向があるでしょう。
暴力的ないじめの場合、大衆はその行為を歯がゆいと思ってみています。
しかし、無視によるいじめに関しては、大衆はその行為を他人への同調、若しくは排他させることへの恐れによってしています。


いままでは、見てみぬふりをしていれば巻き込まれなかったはずのいじめという行為に、自分自身が加わらなければどうしようもなくなるという状態は、恐らく加担している人間にとって暴力的いじめを診ているほうがまだ楽だったことでしょう。
今度は当事者となることによって、ますます告げ口することも難しくなり、告げ口した人物が特定されやすくなってしまうこの状態で、如何なる方法で打開することができるというのでしょうか。
"放っておけばいじめられることがない"から"参加していればいじめられることがない"の変化は、あまりにも危険すぎると思うのです。


さて、"いじめには報復を"で、この"無視"という陰湿の極みのようないじめに対処することができるでしょうか。
いくらいじめられている当人に力があっても、組織力がなければこのいじめに対処することは不可能でしょう。
また、この組織力というものは他人指向型の現代人にとっては安息を求める手段であると同時に変化しにくいものです。
昔のようにガキ大将がいて、力があるものに加担する時代ではないのです。
いくら力があっても"大衆"の前にはなす術がない。
昔ほど暴力団の話が目立たなくなってきたのもこのせいかもしれません。


では、無視といういじめに対して如何なる防止策があるか。
まず1つに、携帯の年齢制限化(若しくは若年層における保持率の低下)。
2つ目に、携帯の機能制限化。
3つ目に、携帯の監視化。
4つ目に、道徳教育の抜本的改革。
無視された当人の為せる対策としてはあまり思いつかないのですが・・・。
あるとすれば、
新聞への投稿(今、悲しいことにマスメディアはこの手の情報を欲しています)。
担当教師、若しくは校長、若しくは教育委員会、若しくは全日本教職員組合、若しくは文部科学大臣への連絡や書簡。
その他、マスメディアへの露呈。
ただ、インターネットだけは死んでもやらないほうがいいと思いますが・・・。


一方、以前のような暴力的ないじめに対しては、自らが強くなることで十分対応できると思います。
例えば、何か1つでも体力テストなどで圧倒的な差を見せつけるとか。
お勧めは握力。
これは力の差を日常的に相手に示すことができますし。
あとは腕相撲に強くなることとか。
柔道、空手、相撲などの日本や中国古来の格闘技に取り組むのも1つの手として有力でしょう。
有段者であるということだけで、相手はある程度躊躇するでしょう。


とにもかくにも、いじめの方法というやつは、十一年前とは随分変化しているので、同じ方法が通用する場面は限られてきているでしょう。
だからこそ、対策が必要なのです。


ただ、

新聞でもテレビでも識者と称する恥知らずたちが、おためごかしの助言を垂れ流して小銭を稼いでいる。

という部分は、大いに同調しますが。