K2へ登る志の如く

しがないもの書きの、サイト更新の詳細情報を兼ねた日記

Twitter : @toresebu

追記。

追記など書いてみたりする。
物言わぬトラックバックとでも題するのであろうか。
それも自惚れというものか、いや承知で行ったことだと見なす他ないのだろうか。
ともかく、時間が経った事によって生じた考えでも書いてみます。


gooのアクセスランキングにのるくらいの記事であるのだから、ある程度の注目を集めていることには間違いありません。
記憶が曖昧なのですが、恐らく見た時点では4位だったと思います。
本日のトップニュースを抜いて4位です。
何処となく感心してしまいたくもなるのですが・・・。


現時点で、私のPCにおけるスキルとは、所詮、テレビでインターネットやパソコンが取り上げられた時に、何の解説も必要としない程度です。
テレビでやるようなExcel講座やWord講座、PC講座が当然のように分かる程度です。
それを踏まえて・・・。
PCの世界を垣間見ると、奥は実に深く、プログラミングの世界だけ捉えても、さまざまな言語が存在しており、テレビに出るレベルとは、まさに"常識"としか形容のしようがないほど深い世界です。
その話を、例えば料理に置き換えてみましょう。
料理においての基礎、つまり常識は、包丁やまな板といった必要不可欠な道具の上にあります。
一方、料理の真髄とは(私は料理人ではなく、料理もあまりするほうではないので、下手なことを言ってしまっているのかもしれませんが)、具材が何処で何時取れたものであるかだとか、料理時間をいかに正確に守ることができるかだとか、言ってしまえば、胡椒を振るあれの、穴の多さにさえ味を変えてしまう恐れがある世界です。
そんな中で、包丁とまな板の存在などは"常識"としか言いようがありません。
つまり、料理をやる上では"できて当然"と見なされることなのです。
パソコンに関してもそれと同様に扱われて当然であると考えるのですが、"常識"が何処まで一般的な常識として通用してくるかが問題となります。
家庭にまな板があるように、当然としてパソコンが家庭にあるものとしたとき、"クリックとは何か"などという質問をすれば、冷たい目で見られることとなりそうです。
パソコンに詳しい人、つまりそれなりにできる人とできると思っている人にとって、"パソコン"とはあって当たり前のもので、今更「プロキシとはなんだ」とか「IPとはなんだ」などと聞かれると、逆に歯がゆくて仕方がなく、当たり前すぎて教えるのが難しい存在であり、辛気臭く、面倒なものとなってしまうのです。
教えるぐらいなら自分がやってしまったほうがいいと考えるのも自然なことです。
忙しい最中突然キャベツを取り出して、みじん切りの方法を教えてくれといわれたようなものです。
自分でやってしまいたくなります。
こんな気分だということです・・・。


話は変わりますが、(例の質問コーナー繋がりということで)以前に、「人となるとはどういうことか」という質問が存在しました。
この時にも回答が乱立しておりましたが、そもそもこの問いに関する答えというものは、いくら追及しても出てこないような気がします。
それは、「死後の世界がどうなっているのか」だとか、「何のために生まれてきたのか」のような哲学的な問いと同等に扱われるべきものだと思われます。
答えを求めることは大切ではありますが、「その質問に答えなど存在しない」と呟いてしまいそうな質問でした。
こういう討議はある種、見ている第三者としても注目したくなるものですが、後半は堕落していた気がします。
つまり、質問として成り立たなくなってきたということです。
元々、決まりきった答えがあるわけではないので、質問者の納得のいく考えを探すことが目的であったように思われるのですが、それも一つの使い方ではあるか・・・。
ただ、そうなると、"答えがない"ことを答えとして出した人たちの行為が、もの悲しく見えてくる。
世は無情よ・・・。